松本人志さん 45歳にして・・・

fuwari

2009年05月18日 14:02

松ちゃん電撃デキ婚!元お天気お姉さんと
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090518-00000030-sanspo-ent


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松本人志さん、

毛じらみをうつされた経験があり、

一時期、頻繁にネタにしていたが、

また暫くして、「毛じらみ」になったとか、

表現がうまいんでしょうね。

持って生まれた才能ですか。




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伊原凛のリンリン予報


YouTube 松本人志のキッチリ委員会


YouTube 松本 税金の話


YouTube 松本の嫁に笑われる西やん



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5月18日7時52分配信 サンケイスポーツ



 人気お笑いコンビ、ダウンタウンの松本人志(45)が、昨年7月に熱愛を報じられた19歳年下の元お天気キャスター、伊原凛さん(26)と電撃デキ婚したことが17日、分かった。所属の吉本興業を通じて松ちゃんは「お相手は一般の方になり現在妊娠中」と発表。「照れくさい」という本人の方針で結婚会見は行わない。「あなたも人の親ですか」と相方の浜田雅功(46)。なにはともあれ、ごっつええ感じ!!

 美人女優、人気歌手らと数々の浮き名を流してきた大物独身芸人が、お天気お姉さんと、ついに年貢を納めた。

 17日夜に突如、吉本興業から芸能界を揺るがす「松本人志 結婚のお知らせ」ファクスが流された。「この件での会見は予定しておりません」と断った上で、松ちゃんがコメント。「お相手は一般の方になり現在妊娠中です。デリケートな時期なので、できるだけそっとしといて欲しいです。記者会見はした方がいいかと思うのですが、照れくさいのでやめておきます」などと、シャイな男らしい文面をつづった。
参照記事http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090518-00000030-sanspo-ent



3000円事件・・・・???

中学生の頃浜田に3000円貸したと主張しているが、

浜田はその事について全く身に覚えが無い。

「3000円返せ!」「借りてへんわ!」との言い争いは、

20年以上経った現在でも時折TV番組等で行われている。

たしかに、

見たことあります。

こんなところに、

伊原凛さん、惚れたんでしょうね。




Wikipedia より

伊原凛

伊原 凛(いはら りん、1982年10月24日 - )は、日本のタレント。

略歴

東京都出身。
聖心女子学院中等科・高等科卒業。フラワーアレンジメント専門学校を経て、日本テレビ系「ズームイン!!SUPER」に出演。同番組にてお天気キャスター、天気予報を担当した。
芸能事務所オスカープロモーションに所属。左利き。
2008年9月30日を以て、「ズームイン!!SUPER」を卒業。
2008年9月30日以降、事実上の芸能活動休止。





ダウンタウン

ダウンタウン(DOWNTOWN)は、松本人志と浜田雅功から成る日本のお笑いコンビ。吉本興業所属。


メンバー

松本 人志(まつもと ひとし)身長172cm

松本 人志(まつもと ひとし、男性、1963年9月8日 - )は、日本のお笑い芸人。お笑いコンビ・ダウンタウンのボケ担当。相方は「浜ちゃん」こと浜田雅功で1982年にコンビ結成。よしもとクリエイティブ・エージェンシー(東京)所属で、吉本総合芸能学院(NSC)の第1期生。通称は「松ちゃん」。兵庫県尼崎市出身。血液型B型。左利きだがキャッチボールを右手で行う(右手で投げる)。既婚。身長172.8cm。


家族
3人兄弟の末っ子。家族構成は父、母、兄、姉。家族の話を番組ですることが多く、番組に出演させることもある。
父親の譲一は大阪府出身、母親の秋子は三重県津市出身。祖父の昇次郎は刺青をしていた。
実兄はヒューマックス株式会社の取締役であり、2007年に歌手デビューをした松本隆博。



浜田 雅功(はまだ まさとし)身長165cm
※戸籍上表記である「濵」は「浜」の旧字体の異字体。


概要

愛称は浜ちゃん。身長165cm。体重50kg。血液型はA型。趣味はゴルフ。

大阪市浪速区生まれ(大国町駅周辺[1])、兵庫県尼崎市出身。所属事務所は吉本興業。

日本を代表するお笑いコンビ、ダウンタウンの一人であり、ツッコミを担当。相方は、「松ちゃん」こと松本人志。

妻はタレントの小川菜摘で、1991年と1994年に2男をもうける。


芸人になる前 [編集]
大阪市でペンキ屋(大阪万博にてソ連館のペンキ塗りをしたペンキ屋)に勤めていた父・憲五郎、母・信子の間に生まれ、小学5年に父が独立、尼崎市でペンキ屋を開く。父とヒロミの父とは、鹿児島時代の同級生(2人とも就職の為に出身地の鹿児島を離れた)である。妹は通称カーコ(本名不詳)。親友でもある松本人志や高須光聖曰く、実家では、よほど親しい友達でないと家に上げてもらえなかったという。

松本・高須のラジオ番組「放送室」でも、当時の仲間内で一番貧乏だったのは、浜田の家ということで意見が一致している。住んでいたアパートはかなり老朽化しており、浜田が幼少時、浜田の家の上の階の床が抜け、上に住んでいた韓国人のおばちゃんが浜田を抱いていた母親の肩をかすめて落ちてきたことがある。しかし、本人は貧乏であったことは認めるが、生まれたときから貧乏ではなかったと主張している。本人曰く、「大阪万博までは羽振りが良かった。それからや、ヤクザの取立てが家に来るようになったんや。」と語る。

1982年 三重県にある全寮制の日生学園第二高等学校(入学は日生学園第一高等学校。2年次に移動)卒業。在学時はあまりに厳しい環境のため何度も寮を脱走したとか(本人談)。浜田が一年生の頃、学校の便器を素手で掃除するというしきたりがあったほどである(『徹子の部屋』に出演したときに述べていた)。同校の後輩として今田耕司がいる(今田は同校中退、辞めた理由も浜田と同じ)。

高校卒業後の目標は特になかった為、父親の提案で競艇選手の試験を受けたが落ちている。



ダウンタウン 概要

日本を代表するお笑い芸人の中の一組。お笑い第三世代で最も成功した芸人の一組であり、デビューから四半世紀以上経った現在も、10~30歳代を中心に熱心なファンを多く獲得している。 松本のシュールなネタと独特の間合い、浜田の過激なツッコミは、「ダウンタウン登場以降、漫才のスタイルがダウンタウンのコピーになってしまった」といわれるほど、以後のお笑い芸人(特に師匠を持たない世代の芸人層)に絶大な影響を与えた。

上岡龍太郎をして「昔はボケもツッコミも観客から見下されていた。それがコント55号ではツッコミ(萩本欽一)が客よりも高い位置に行った。ツービートはボケ(ビートたけし)が客よりも高くなった。ダウンタウンは2人とも客よりも高い位置で芸をやっている。これからの漫才(≒コンビ芸)はどうなるんやろ」と言わしめている。

お笑い芸人(特に大阪)を劇的に増やしたのは、この2人の芸風が簡単に見えて、誰でも出来そうに思えてしまっている事が影響している。島田紳助はダウンタウンとの対談でそのことに言及し、「ダウンタウンはしっかりとした漫才ができているうえでの芸風だが、はじめからダウンタウンと同じような芸風でやろうとしている芸人が多い」と過去に指摘していた。ダウンタウンと同期であるトミーズ雅も「みんな松本のダラダラしたしゃべりの表面だけ真似してるけど、それだけじゃ駄目。松本は本当は150km/hの球を投げることができるのに、それをわざと100km/hで投げている。他の奴らは110km/hしか投げられないのに100km/hで手を抜いている。」と評している。

根本的な芸風はデビュー当時から現在に到るまで全く変わっていないが、昔は漫才等において、松本は無表情で無口、浜田は大きな声で激しいツッコミをしていた。1990年代半ばからは、浜田は昔ほどあまり声を荒げてツッコむことは少なくなり、むしろ松本のほうが自身の体験談などで(汗をかくほど)怒鳴る様子が見られてきた。 その一方で、昔は松本の頭を叩くことは滅多に無かった浜田だが、最近での『ガキの使い』のトークでは、一回の放送で必ず一度は、松本の頭を叩く、尻を蹴る、膝蹴りをするなどの様子が見られる。

彼らは自己の世界観を共有するスタッフと番組制作を行うことが多く、ブレーン的位置にいる高須光聖や、ミュージシャンとしても活動する倉本美津留らの放送作家陣とは付き合いが長い。


エピソード

スナックでアルバイトをしていた頃、スナックから自宅まで帰る電車賃がなくてミナミから尼崎まで、途中、1本のコーヒー牛乳を分け合い飲みながら歩いて帰った事がある。
花月で漫才をしていた時、客席から「金返せ!」と罵声を浴びせられた浜田は、「おう!返したらぁ!いくらじゃボケェ!」と、ポケットの中の小銭をその客に向かって投げつけた。
うめだ花月、なんば花月、京都花月の三館回りをしていた頃の二人の現場までの交通手段は、浜田が初めてローンを組んで買ったマークⅡであった。
浜田は現場に向かう途中の高速道路でオービスによって取締りを受けている。後日、警察から出頭通知が何度も来ていたが無視を続けていた為、裁判所から逮捕状が出されていた。警察によれば、『4時ですよ~だ』の生放送終了後に逮捕する手筈になっていたという。何も知らない浜田であったが、逮捕当日の朝にふと、「行っといたほうがええかな。」と思いたち警察署に出頭して逮捕という事態を免れた。ちなみに、刑事さんにオービスに撮られた写真を見せられ、「隣に写っているのは誰か?」と聞かれた浜田は、「友達(の松本)です。」と答えている。
大阪・2丁目時代、あまりの人気ぶりに「ダウンタウンが道頓堀を歩くと自衛隊が出る」と言われていた。
『ダウンタウンのごっつええ感じ』の「青春プレイバック」と題した企画で尼崎の商店街を訪れた松本は、「浜田に吉本入りを勧誘されてなかったら、自分は今と違って太ったオッサンになって、嫁にコキ使われて生きていただろうな。」と、しみじみと語った。
松本の記憶によれば、中学2年生の時に二人で洋服を買いにサンバード長崎屋へ行った。そこにどうしても欲しいTシャツがあった浜田だが、所持金が足りず長崎屋の非常階段で頭を抱えてしゃがみこんでしまった。それを見るに見かねた松本は、浜田の為に3,000円を貸してあげたという。しかし、浜田は買い物に行った事は覚えているが、3,000円を借りたことや非常階段でしゃがみこんだということは記憶になく、両者の言い分は食い違っている。以来、松「返せや。」、浜「何をやねん。」、松「3,000円や。貸したったやろ。」、浜「借りてへんわ。ホンマに金足りひんにゃったらゆうわ!何で非常階段で頭抱えなあかんねん?」、松「頼む! もういいかげん返してくれ!!」、浜「だから、借りてへんゆうてるやろ。」、松「絶対に貸したて!! お前は忘れてるんやって!!」、浜「いや、それなら返した。」などと、30年以上も前の3,000円をめぐって『ガキの使いやあらへんで!!』などで思い出話がてらに小競り合いを続けており、未だ真相は藪の中である。ちなみに、3,000円はガキの使いやあらへんでトーク内にて渋々渡している。
松本は1993年レギュラー番組内で「ダウンタウン二世は2012年頃現れる」とフザケ半分で言っているが、相方浜田はそれに対し、「お笑いの新時代が来るって事か」と真剣に言っている。
両者とも下戸である。その為二人の酒に関するエピソードは少ない。ただし二人とも全く飲めない訳ではなく、レギュラー番組で酒を交わしながらトークする様子も見られる。また、両者共に高所恐怖症であり、絶叫系マシンが苦手である。その為か、番組内で絶叫系マシンに乗る事は少ない。

ダウンタウン以前・ダウンタウン以後という言葉があるほどお笑い界に多大なる影響を与えた。特にダウンタウンの漫才を見た世代の芸人のほとんどがスタイルをまねるという現象が起きた。
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