アホの坂田ショック! 脅迫文が前田五郎“筆跡酷似”
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自筆で脅迫文というのもどうなんだろう、
身内のいたずらと
分かっていたのではないだろうか、
いたずらとしかおもえませんし、
そうじゃないと独自に筆跡鑑定なんてしないのではないか。
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YouTube 中田カウス脅迫事件で前田五郎聴取 脅迫文の字体が前田ではと坂田利夫
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5月25日16時57分配信 夕刊フジ
吉本興業所属の人気漫才コンビ、中田カウス・ボタンのカウス(59)あてに今年4月、カウスや吉本興業幹部に危害を加えることを示唆する脅迫状が届いた問題で、脅迫状の文字が同じ吉本興業に所属するベテラン漫才コンビ、コメディNo.1の前田五郎(67)の筆跡と酷似していることが25日、分かった。吉本が独自に行った筆跡鑑定で判明した。前田は関与を否定しているというが、資料の提出を受けた大阪府警南署は1月のカウス襲撃事件との関連も含めて捜査している。
吉本興業によると、筆跡鑑定は4月3日にカウス宅に脅迫文が郵送され、吉本が同署に相談した後、社として独自に専門機関に依頼して実施。関係者によると、前田とほぼ同一人との鑑定結果が得られたといい、先週南署に提出した。
脅迫文は届いた直後から前田の文字に似ていると吉本内で指摘され、前田の相方の“アホの坂田”こと坂田利夫(67)に脅迫文であることを伏せて一部を見せた際、坂田も「相方の字だと思う」と話したという。
【吉本の独自鑑定で判明】
脅迫文について吉本は25日、「一部で前田が犯人と断定するような報道がなされていますが、弊社も警察もそのような断定をしている事実はございません」とのコメントを出した。広報担当者も取材に応じ、「本人は困惑し、驚いている」とした上で、前田についてはタレント活動を当面休養させることを明らかにした。世間を騒がせたため本人と相談の上で決めたといい、コメディNo.1は26、27の両日に東京で予定していた舞台の出演も見合わす。
参照記事http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090525-00000007-ykf-ent
中田カウスさん、
悪戯の帝王 の異名を持つくらいですからね、
昼寝中の人生幸朗のメガネのレンズを
赤のマジックインキで塗りつぶし、
カウスは耳元で「火事や!」と叫ぶ。
目を覚ました人生幸朗は目の前が真っ赤な上に
強度の近眼だったので何がなんだか分からず、
慌てふためく一方だったとか。
笑えるいたずらならいいんでしょうが・・・・
Wikipedia より
坂田利夫
坂田 利夫(さかた としお、本名:地神 利夫(じがみ としお)、1941年10月7日 - )とは、大阪府大阪市港区出身の日本のお笑い芸人である。独身。私立此花商業高等学校(現・此花学院高等学校)卒業。吉本興業所属。血液型はB型。通称、アホの坂田。なお、『なにわ人情コメディ 横丁へよ~こちょ!』などにゲスト出演する際は、舞台初登場時に、恒例のお約束として、キダ・タロー作曲の『アホの坂田のテーマ』が流れる。
人物
自らをアホ(阿呆)と称し、他人に軽蔑されても意に介さず、また明石家さんまなど後輩から「もう『師匠』なんですから、仕事をえらんでや」とたしなめられてもアホに徹するその姿は、芸人の鑑である。
しかし素顔はデリケートそのもので、「アホ」はあくまでも芸であり、私生活で見知らぬ人に「アホ」といわれるとムキになって怒ることもあるらしい。舞台でも観客に「アホ」などとボロカスに言われて喧嘩したことがあるという。また、「バカ」と言われると相当不機嫌になる。
60代を過ぎても未婚である理由は、本人曰く結婚出来ないのではなく、結婚“しない”から。理由は、子供が出来た時に「アホの子」と指を差され負担になるのではないか心配だからである。
1950年のジェーン台風の被害を受けたため、幼少時の写真はほとんどない。同じ境遇の芸人に、桂三枝がいる。
アホを演じるのが嫌になってこれまでの芸風をやめようとした時、藤山寛美から「アホは心の優しい者しかできんのやで」と諭され思い直した。
結婚・寛美関連ではもう一つ、今田耕司に寛美の娘である藤山直美との結婚を勧められたというエピソードもある(アホとアホの娘を結婚させて「最強のアホ」を産ませる魂胆だったらしいが、本気度は不明)。
実は、高校卒業までは常に成績トップクラスの秀才だった。そのため、母親は息子がアホと言われる事にひどく抵抗があったらしく、レストランで二人で食事をしていた時、そこに来ていた学生に利夫がアホと言われた際には、泣きながら止めようとしたらしい。その後、坂田は自分の芸風に悩むことになる。
「アホの坂田のテーマ」が大ヒットした際、「サカタ姓の小中学生がからかわれたり、いじめに遭っている」との指摘を受け、放送局は一時、この曲の演奏を自粛する事態になる。この時、坂田自身も言われのないバッシングを受ける羽目にあう。ちなみにこの歌は江川卓が後楽園球場初登板の時、相手側のファンは勿論、一塁側のジャイアンツファンからも「アホの江川」の替え歌で迎える異常事態もあった。また、明石家さんまによるとこの曲が選抜高等学校野球大会のテーマ曲に内定していたが前述の件で取り消しになったらしい。
純粋で、人を疑わないので、お笑いウルトラクイズのドッキリ企画「人間性クイズ」のターゲットになったことがある。また、昔はいつも中田カウスのいたずらの標的にされていた。TV局の人間のふりをしたカウスにレポーターの仕事が入っていると騙され、元日の朝の漁港(カウスの回想では大阪市中央卸売市場)を白のモーニングコートにネクタイといういでたちで歩き回ったことがある。
妹の結婚式で「ふつつかな妹ですが」と言うべき所を「ふしだらな妹ですが」と言ってしまった。
まだ若手だった頃のダウンタウンの漫才を舞台袖で見ていた坂田は、舞台後の2人に「お前らなかなかおもろいやないかい」と激励の言葉をかけてやったが、当の坂田がチョビヒゲに長いチョンマゲ姿のいかにもアホな格好をしており、ダウンタウンは内心「お前の方がおもろい!」とツッコんだという。
愛するペットはイグアナ。
歩くことが大の苦手である。
ウナギが大好物である。
若手時代、先輩芸人からゆで卵を水なしで一気食いしたら小遣いをやるといわれて実行し、黄身が喉に絡まって窒息死しかけた事がある。
西川きよし・ヘレン夫妻とは、仲が良いことで有名。芸人として食べられなかった頃、坂田と西川は、吉本新喜劇でマドンナとして活動していたヘレンに養ってもらっていた。
また、彼等が結婚した後も、しばらく西川家に居候していたことがある(ヘレン曰く「3人で川の字になって寝ていた」)。また、夫妻の長男忠志誕生の際、仕事で駆け付けられなかったきよしに代わり父親役として立ち会う。ちなみに夫妻とも坂田より年下であるが、芸歴は二人の方が長いので西川夫妻は坂田のことを「坂田君」と呼び、坂田は二人のことを「きよっさん」「ヘレンさん」と呼んでいる。坂田を漫才に誘ったのも西川である(西川が「やす・きよ」コンビで人気が出ていた頃、当時吉本新喜劇の役者だった坂田に対し、西川が「漫才は儲かるでぇ~!」と言ったのが漫才転向のきっかけだった)。
間寛平とも仲が良く、寛平の子供達は、坂田利夫の事をパパと呼んでいた。昔、一緒に住んでいたこともある。
面倒見がよく、明石家さんまなど、いまだに「兄さん」と呼んで慕う後輩芸人も多い。
大木ひびきとは、無二の飲み友達である。(互いに独身者)
1975年から1983年まで朝日放送テレビ他で放送されていた「あっちこっち丁稚」では、木村進、間寛平とともに、木金堂というカステラ店の丁稚役で出演していた(相方の前田五郎は、木金堂の主人役であった)。なお、デビュー当初から数年間は、相方の前田五郎とともに、吉本新喜劇でも活躍していた。
かつて富士通のパソコン・FMVシリーズのCMキャラクター、“タッチおじさん”の声を担当していた際、富士通からパソコン一式を贈られた。しかし使い方が全く分からないため、届いた日に配送業者がパソコンデスクにセッティングした状態のままで放置されていた。
ハイヒールモモコのスッピンは、坂田にそっくりである。朝日放送の「探偵!ナイトスクープ」で「モモコさんのスッピンが坂田さんに似ていると言いますが、逆に坂田さんが化粧したらモモコさんに似ていますか?」という依頼があり、実際に坂田に化粧をしてモモコと並べたことがある。
「2004年時点での坂田の容姿は、衆議院議員・鈴木宗男(新党大地代表)の容姿と似ている」と言われ、本人も悪ノリしてよく物真似をしていた。
一時期人気は凋落傾向にあったが、2002年、鈴木宗男の一連の疑惑に絡み、鈴木のそっくりさんとしてマスコミへの露出度を高めるにつれ人気が復活、本人もギャグとして大いに利用。鈴木が逮捕され437日間拘置される間、鈴木に取って代わりさらに露出度を高める。その後、2005年、鈴木は衆議院議員に復活。最近では鈴木のほうが熱心に坂田を利用しタレント活動に力を入れるなど、お互いに持ちつ持たれつの良好な関係を築いている。
2006年、めちゃ×2イケてるッ!の濱口だましで鈴木宗男のそっくりさんとして登場するはずだったが、大阪での仕事があったために代役として鈴木宗男本人が登場した。
チュートリアルの徳井義実に、真の男前No.3として紹介された(No.2は島木譲二、No.1は徳井義実)。
最近は単独の活動が多いためか、若い人の間ではピン芸人だと思われることが多い。
標準語のイントネーションで「アほ」と言われることに非常に抵抗を感じている。新幹線で乗り合わせた乗客に「坂田、お前、アほだってな」と言われ、「ワシはアほと違う、アホや!」と言い返そうとしたが、その相手が怖い商売の方だったため、「へい、私はアホでございます」と下手に出てしまったこともある(月亭八方の楽屋ニュースより)。
前田五郎
前田 五郎(まえだ ごろう、本名・前田 邦弘(まえだ くにひろ)、1942年4月8日 - )は、大阪府大阪市出身のお笑い芸人で、坂田利夫との漫才コンビ「コメディNo.1」のツッコミ担当。初芝高等学校卒、大阪商業大学中退。所属事務所は吉本興業。長女の前田真希は2005年に、次女の前田まみはその翌年に、吉本新喜劇に入団した。
経歴
浅草四郎に弟子入りし、1963年、吉本新喜劇入団。新喜劇要員として船場太郎らと新境地を開き主に脇役として活躍した。その後1967年1月、坂田利夫と共に「コメディNo.1」を結成。
"アホの坂田"こと坂田の単独での活動が多く、「コメディNo.1」としての活動はなんばグランド花月など舞台での活動が中心である。朝日放送テレビ「あっちこっち丁稚」(坂田、間寛平等出演)では舞台となるカステラ店の主人役で出演した。
中田カウス
中田カウス・ボタン(なかたかうす・ぼたん)は、漫才コンビ。所属事務所は吉本興業大阪。コンビ結成は1969年3月。
なんばグランド花月劇場(NGK)で大トリをとる大御所である。
略歴
二人の出会いはカウスがアルバイトをしていたバーの常連客がボタンであった事から。日に日に仲良くなった頃カウスからボタンを誘いコンビ結成。
その後は遊園地やストリップ劇場などで漫才を披露。若手の頃はアイドル並みの人気を博した。漫才師はコンビで揃いのスーツを着ることが定番だった時代に、はじめてジーパンとトレーナーで演じた[1]。ネタ作りも当時の女子高生にウケるネタを研究して作るなど、若者にターゲットを絞った漫才を発表し続ける。現代では当たり前のように存在するアイドル漫才師のパイオニアと言える存在であった。
漫才・ネタの特徴としては、カウスの、ボタンの私生活や過去を引き合いに出しておちょくる(からかう)ようなボケと、それに対するボタンのノリツッコミ。
中田カウス(なかた - 、本名:野間 勝道、1949年6月29日 - )
ボケ担当。血液型はA型。愛媛県今治市(旧越智郡伯方町)出身。2002年からM-1グランプリ決勝戦の審査員を務めている。出演者のチェックは予選から行っており、2005年は1回戦から舞台袖ではなく、客席側からチェックしているのが目撃されている。
ひょうひょうとした語り口でボタンに毒舌を吐くのが特徴。「悪戯の帝王」の異名を持ち、ターゲットになった芸人は浜田雅功から人生幸朗まで幅広く、ターゲットとして一番狙われたのは坂田利夫である。
横山やすし、オール巨人、チャーリー浜と並ぶ弟子育成の厳しさで知られるが、私生活のだらしなさから「弟子には厳しいが自分には甘い」と非難を受けることもある(借金問題が表面化し、芸能活動を自粛する事態に追い込まれた時期もある)。
投機で成功した時期があり、その頃は「金持ちで真っ当な」カウス、「貧乏で犯罪者チックな」ボタンというパターンでボケを担当していた。現在でも、「金持ち」は抜いたが、真っ当そうに見えて不思議なボケを使う。
芸人論には一家言ある。1980年代後半に上岡龍太郎を中心として「楽屋をのぞかせる」という演出が多用されたが、「芸人が見せてはいけない部分」と論じて、痛烈に批判した。
実は大のM1嫌いである
。
ビートたけしと親交が深く、たけし司会の番組でしばしばゲスト出演する。カウスは「おじさん」とよび、たけしは「あんちゃん」と呼び合う仲。
吉本興業特別顧問に就任したが、2007年4月、週刊誌等により暴力団との関係を問われ、本人は否定しているもののファンを騒がせたとして同職を退任した。
これを受けてNHKは、カウスが出演する『バラエティー生活笑百科』の4月28日と5月5日放送分を無期限放送延期。
また、週刊誌等で吉本興業元会長に対してカウスが恐喝した疑惑や吉本興業現経営陣の不正支出疑惑が浮上、吉本興業株主総会でも取り上げられ、総会の場で社として調査を行うことを約束。
7月31日に吉本興業が発表した調査結果によるとカウスの恐喝疑惑に関しては不問、吉本興業自体の不正支出に関しては「不正支出はあったものの、既に和解している可能性が高い」とし、問題が無いことを強調したものの、
11月21日大阪府警捜査4課が吉本興業元会長に対する恐喝容疑でカウスを任意で事情聴取したことが明らかとなった。
また、M-1グランプリ2007に審査員として出演している件について放送局(ABC)へ10件近い問合せがあった[2]。
2009年1月9日午後8時頃、大阪市中央区堺筋で、カウスを助手席に乗せた右ハンドルのベンツが信号待ちをしていたところを左後方から黒色タオルで覆面をし、フルフェイスのヘルメットをかぶった男が近づき、助手席の窓ガラスを金属バットでたたき割り、カウスは頭部をバットで数回突かれ、頭に軽傷を負った
中田カウスのイタズラ伝説
毛布事件
ある日の飛行機で人生幸朗と乗り合わせたカウスは、人生幸朗が寝ているスキに飛行機に備え付けてあった毛布を人生幸朗のカバンの中へこっそりと入れた。その後、深夜3時頃に人生幸朗宅へ「航空会社の者ですが、うちの毛布が無くなったのですが…」という電話を入れる。「こんな時間に相手を誰だと思って電話してるんだ!」と怒った人生だが、カバンの中を調べると本当に毛布が入っており、一転して平謝りしだした。
メガネ赤塗り事件
昼寝中の人生幸朗のメガネのレンズを赤のマジックインキで塗りつぶし、カウスは耳元で「火事や!」と叫ぶ。目を覚ました人生幸朗は目の前が真っ赤な上に強度の近眼だったので何がなんだか分からず、慌てふためく一方だった。
首吊り事件
当時住んでいたアパートにあった木に、深夜にこっそり縄をくくりつけ、マネキン人形の首をそれに引っ掛けておいた。暗闇の中からそれを見たアパートの管理人は腰を抜かし、庭にあった池へ落ちてしまった。
今いくよ・くるよ事件
テレビ局のプロデューサーを装い、今いくよ・くるよに「一生懸命に漫才の稽古している姿を撮りたいので、正月海辺で晴れ着を着て稽古していて下さい。」と電話。実際に晴れ着で稽古をしていたいくよ・くるよを船に乗って見て笑っていたという。
ホテルプラザ花火事件
かつて大阪市北区の朝日放送横にあったホテルプラザの一室で愛人と花火を打ち上げスプリンクラーと非常ベルが作動し大騒動
イタズラ電話
毛布事件から推察される通り中田カウスは、イタズラ電話の常習犯でもある。芸人仲間の集る深夜のスナックから横山やすしの自宅へ電話し「明日の南海電車の始発の時間を教えて下さい。」やすしは激怒し「誰や!!横山と知っての狼藉かコラ!!」一同腹を抱えて忍び笑う・・
竜介バースデーケーキ事件
新助の相方である竜介(故人)へ、バースデーケーキをプレゼント。しかし、そのケーキに、割り箸で押し込んだヘアを仕込む。知らずにバースデーケーキを受け取った竜介は、感激して「みんな、ありがとう」と涙ながら、ケーキをほおばったという。しかし、周囲の芸人は、笑いをこらえるのに苦労したという。
筆跡鑑定
筆跡(ひっせき)とはワードプロセッサなどを介さずに、筆、ペンなどの筆記用具を用いて人の手によって直接書かれた文字のこと。または、その書き方の癖などを指す言葉。 古代では、亀の甲羅や動物の骨に対して、先を鋭利に尖らせた石などで、これに天と地や農作物などを象形化した甲骨文といわれる文字を「ひっかき」、占いの道具として使用するために用いられたのが最初の筆跡といわれている。
筆跡学・筆跡鑑定 [編集]
筆跡鑑定では、別の二つ以上の文書に対して、文字の形態(縦長や横長、角型や丸型など)、書かれ方(はね・止めの仕方、くずし方、筆圧など)、筆癖(癖字や筆順の違い、点画の位置など)による個人差を比較するなどして、ある文章が本人によって書かれたものか、否かを照合する目的で使われる。人は文字を執筆する際に必ず社会環境の中で文字を執筆するため、執筆するときの環境や背景にも注意する事が求められる。 人は訓練することにより、偽筆(ぎひつ)という自身の筆跡を隠したり、模書(もしょ)という他人に似せて文字を書くことが可能なため、形態一致を判定するコンピュータなどでは不十分であり、自動的に行うことはできない。このため、筆意(ひつい)という、文字を執筆する際の「意思」などを汲み取り、総合的に判断するために専門の「筆跡鑑定人」が行う。
筆跡鑑定のポイントには次の5つがある。
筆跡個性……人には個性があるが、それは筆跡にも表れて「筆跡個性」と呼ばれる。
筆跡個性の恒常性……筆跡個性は繰り返し同じようなパターンで表れる。
筆跡個性の稀少性……筆跡個性には非常に珍しい稀少筆跡個性というものがあり、筆跡鑑定の重要な鍵になる。
筆跡個性の無自覚性……筆跡個性はほとんど意識されずに微妙な形で表れ、それだけに模倣は困難である。
個人内変動……筆跡個性がある反面、個人における変化には差異が大きいことが筆跡鑑定を難しくしている。
筆跡鑑定は、これらの要素を総合的に検証し考察して筆者を特定する。したがって、アマチュアが思うように「字の形が似ている」というような簡単なものではない。つまり筆跡鑑定とは、文字の形の異同を調べることではなく、「筆跡にあらわれた個性の異同」を調べることといえる。
しかし、実際には、日本では表面的な文字の形で判断する筆跡鑑定人が多く、そのレベルは高いとはいえない。それは、文字に表れた個性を理解するための「筆跡と性格」、あるいは「筆跡と心理」の研究が不足しているためと言われている。
人物の性格や心理を分析しようとする学問として筆跡学というものもあるが、未だ確立された学問は日本には存在せず、統一された理論や方法が今後望まれる。
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