松本人志 超厳戒披露宴

fuwari

2009年06月27日 13:18

松本人志 超厳戒披露宴
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090626-00000274-sph-ent


間寛平 地球1周「アースマラソン」





松本人志さん、


高校時代、浜田雅功と素人芸能番組に出演した時、


横山やすしに才能があると絶賛されるが


浜田雅功はダメだしされたとか、


松本人志さん、みかけより、天才肌かも。




YouTube 松本人志 伊原凛 結婚 2人のなれ初め



YouTube 伊原凛 最後のTV出演



YouTube 松本人志と三村マサカズのコント





6月27日8時0分配信 スポーツ報知



 5月17日に結婚を発表した人気お笑いコンビ「ダウンタウン」の松本人志(45)と元タレントの伊原凛さん(26)が26日、都内のホテルで結婚披露パーティーを行った。後輩の山口智充(40)や陣内智則(35)のほか吉本興業の大崎洋社長(55)らが出席。結婚発表時、松本は「できるだけそっとしといてほしい」とコメントしていたが、披露宴も厳戒態勢。

 ホテル内の案内板にも名前を伏せ「ご予約席」としか書かれていない徹底ぶり。ホテルの従業員や事務所関係者も報道陣に「プライベートなこと」と答えるのみだった。2人には10月に第1子が誕生する予定。
参照記事http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090626-00000274-sph-ent




Wikipedia より

松本人志


松本 人志(まつもと ひとし、男性、1963年9月8日 - )は、日本のお笑い芸人。吉本総合芸能学院(NSC)の第1期生でよしもとクリエイティブ・エージェンシー(東京)所属。お笑いコンビダウンタウンのボケ担当。通称は「松ちゃん」。左利きだが力を使う作業は右手を使う(球技は右投げ、腕相撲も右手)。既婚。


略歴

兵庫県尼崎市出身。1982年に兵庫県立尼崎工業高等学校を卒業後、中学時代からの友人であった浜田雅功と共に吉本総合芸能学院(NSC)に入学(同校の1期生)。入学当初から浜田とコンビを結成。
ダウンタウンとしてテレビ番組にレギュラー出演。『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』(日本テレビ系列)『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ系列)等では出演のほか番組の企画・構成も担当した。
1994年から1995年にかけて、松本が週刊朝日に連載していたエッセイが単行本化される。題名は『遺書』『松本』で、それぞれ250万部、200万部の売り上げ。また、1994年度の高額納税者番付でタレント部門の1位になる。
1990年代後半より、『一人ごっつ』シリーズ(フジテレビ系)、入場料1万円のコントライブ「寸止め海峡(仮)」、料金後払い制ライブ「松風'95」、コントビデオ『HITOSI MATUMOTO VISUALBUM』など、個人での活動も行うようになる。
1997年10月、『ダウンタウンのごっつええ感じ』スペシャルが、松本への事前連絡無しにプロ野球の優勝決定試合に差し替えられたこと等を理由に、同番組の打ち切りを決定する(本人はそれ以外の理由があったと話している)。その後のフジテレビとの関係が心配されたが、この打ち切りは日曜20時枠とコント番組に対しての撤退に限定したもので、その他のレギュラーの降板は無かった。
1998年、ビートたけし編集の雑誌「コマネチ」でたけしとの初対談が実現。
1998年、7月19日放送の「ガキの使い」内のトークコーナーにおいて「髪を2ミリにするわ」と発言し、その後(次週)7月26日放送から実際に坊主にし、現在に至る[1]。坊主にした理由について「不必要な物を排除したかった」とのこと。
1999年、松本に密着したドキュメンタリー番組『松本人志の本当』(NHK-BS)放送。
2000年、自身の原案で『伝説の教師』(日本テレビ系、SMAPの中居正広と共演)に主演。
2000年、尊敬する島田紳助とのトーク番組『松本紳助』放送開始。
2001年、構成作家の高須光聖とラジオ番組『放送室』(TOKYO FM)を開始。
2001年10月12日、復活スペシャルとして『ダウンタウンのものごっつええ感じスペシャル』が放送される。視聴率は9.0%。期待していたものより高くなかったのと、フジテレビの編成や制作のまずさを指摘、「本当に面白い事はテレビではもう出来ない」と発言。そしてダウンタウンとしてはテレビ向けコントを制作しないことを宣言する。
2006年、第2日本テレビのVODにて新作コント「Zassa(ザッサー)」を配信。
2006年、レンタルビデオ店のアダルトコーナーにいる姿の写真を雑誌FLASHに無断で掲載され、その写真が防犯カメラの記録ビデオから転載したものであったため発行元の光文社らを訴え、勝訴した。これにより、「防犯カメラのビデオ映像からの写真転用は訴えられるほどの悪事である」という主張が認められた。
2007年、本人が企画、脚本、監督、出演の四役を務めた映画『大日本人』を発表し監督デビュー。日本での公開に先立ってカンヌ国際映画祭の「監督週間」に招待されたが、新人監督賞にあたるカメラ・ドールの受賞には至らなかった。6月1日放送の『さんまのまんま』で明石家さんまと10年ぶりに共演。その他、『笑っていいとも』等にも出演したが、宣伝を名目に色んな番組に出てみたかったとの事。
2008年、東京スポーツ新聞社主催・「第8回ビートたけしのエンターテインメント賞」で話題賞を受賞。たけしとは公の場で初の共演となった。
2009年、所属事務所を通じて一般人女性(元タレントの伊原凛)と結婚したことを発表した。



エピソード

少年時代に漫画『天才バカボン』、『トイレット博士』等に影響を受け、漫画家を目指すが、赤塚不二夫著作の漫画家教本に「漫画家は算数(九九)が出来なければならない」と書いてあり、九九が苦手だったことから漫画家への道を断念したと語っている。『バカボン』は大好きだったのに最終回の「バカボン一家がサヨウナラ」は観られなかったと語っている。その他、ギャグ漫画家ではいがらしみきおを褒める発言もしている。
裕福な家庭ではなかったため、限られたものを使って自分で遊びを発明するなど創意工夫の中で発想力や想像力が鍛えられたと語っている。インタビューでは「タダ(無料)で始められるから笑いを始めた」と語っている。[7]
子供の頃、自転車を買ってもらえなかったため、いつも自転車を漕いでいるフリをして踊りながら町内を歩き回っていた。人が来たら避けるフリをしたり、友達の家に着いたら自転車を停めるフリもしていた。[8]
尊敬する芸人と公言しているのは藤山寛美、島田紳助、志村けん等。
AV女優・松本コンチータの名付け親である。
毛じらみをうつされた経験があり、一時期自身の番組などで頻繁にネタにしていた。また暫くしてから、再び「毛じらみ」になったことを番組内で語っている。
番組ではスーツを着用することが多く、ネクタイの先をズボンに入れるのが拘り。
ザ・クロマニヨンズ(元THE HIGH-LOWS・THE BLUE HEARTS)の甲本ヒロトと親交があり、番組での共演や、ハイロウズのアルバムジャケットのデザイン、CM出演などをしている。
中学生の頃浜田に3000円貸したと主張しているが、浜田はその事について全く身に覚えが無い。「3000円返せ!」「借りてへんわ!」との言い争いは、20年以上経った現在でも時折TV番組等で行われる。
携帯電話のメモリーはどんどん消していく。件数を聞かれて「90件。そのうちお店が60件。」と答えている[9]。
「ごっつええ感じ」内の理科の実験コーナーの時、意図的に作動させたエアバッグで顔面を大怪我した事がある。
いぼ痔になったことが2回あると番組内で語っている。1回目は20代前半の時に発症し、薬局で販売している軟膏で治ったが、2回目は痛みがひどく、病院で治療を受けた。現在は完治しているという。
伊集院光は松本を「松本さんの凄いところは、“松本人志の本当の面白さがわかるのは俺だけだな”とみんなに思わせる事ができるところ。だから視聴率30%とか取れるんですよ」と評している。
本人も認める極度の人見知りであり、自分のホームグラウンドではない他人の番組へのゲスト出演等も苦手と語っているが、初監督作である『大日本人』の公開前には乗り気で「宣伝を口実に色々な番組に出てやろうと思った」と語っていたり、『虎の門』のしりとり竜王にも参戦してみたいと語ったり(実際にゲスト出演もしたが審査員としての出演というかたちであった)、『食わず嫌い王』、『うたばん』、『100人目のバカ』などいくつかの番組に対して「出演してみてもええねんけど…」と語っている。 その一方で『恋するハニカミ!』にはどんなことがあっても出演することはないと、自身のラジオ番組である『放送室』で語っている(『恋するハニカミ!』は『放送室』の共演者で、小学校から付き合いのある構成作家の高須光聖が構成をつとめているため、というのがその理由である)。
高校時代浜田雅功と素人芸能番組に出演した時、横山やすしに才能があると絶賛されるが浜田はダメだしされる。




伊原凛

伊原 凛(いはら りん、1982年10月24日 - )は、芸能事務所オスカープロモーションに所属していた。 日本の元タレント。

人物・略歴
東京都出身。左利き。
身長163cm。B78・W59・H85。
趣味:デッサン、水彩画、フラワーデザイン。
日本フラワーデザイナー協会2級、医療事務、剣道1級。
聖心女子学院中等科・高等科卒業。フラワーアレンジメント専門学校卒業。
2006年4月~日本テレビ系「ズームイン!!SUPER」に、お天気キャスターとして出演、天気予報を担当した。
2008年9月30日を以て、「ズームイン!!SUPER」を卒業。以降、事実上の芸能活動休止。
2009年5月、ダウンタウンの松本人志と結婚。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090626-00000274-sph-ent

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