2009年09月01日

川村カオリさんのお別れ会

川村カオリさんのお別れ会、今月19日に開催


間寛平 地球1周「アースマラソン」
アースマラソン応援バナー




川村カオリさん、


帰国後に編入した


小学校で、上履きを隠され、教科書を破かれ、


給食にゴミやゴキブリを入れられたという。


最期まで諦めず、


がんと闘いながら懸命に生きた姿は、


多くの人に勇気と希望を与えたのではないでしょうか。。




川村カオリの調子はいいんだけど… - 公式ブログ より


2009-09-01 00:00:00
川村カオリお別れ会開催のお知らせ
テーマ:ブログ
川村カオリお別れ会『アナスタシア』(献花式)
※「アナスタシア」は川村カオリの洗礼名。「復活」の意味を持つ。

■開催日時 2009年9月19日(土)

7月28日午前11時01分。
長きに渡って乳ガンの闘病を続けていた川村カオリ、永眠。
5月5日に最後のLIVEを行った会場渋谷C.C.Lemonホールで献花式を行う。

ありがとう、さようならを伝えるために。

【一般受付】
13:00~ 開場
18:00  受付終了
(受付終了の時間となり献花式終了の時間ではありません。18時までに受付をされた方は入場できます)

■会場 渋谷C.C.Lemonホール
〒150-0042 東京都渋谷区宇田川町1-1
TEL.03-3463-3022
JR 渋谷駅より徒歩10分
JR 原宿駅より徒歩10分
明治神宮前駅より徒歩10分
渋谷C.C.Lemonホールには専用駐車場がございません。
お車でお越しの場合は渋谷区役所前公共地下駐車場をご利用下さい。

ご参列いただく方へ...
・献花用のお花に関しましては、あらかじめご持参下さい。
・当日会場で、本人の好きだった赤いバラを限定数販売いたしますが、品物に限りがございますので 限定数を過ぎましたら 終了とさせて頂きますのでご了承下さい。
・平服でお越しください。
・どなたでもご入場いただけます。
・ご来場者多数の場合は整理券を配布する場合がありますので、予めご了承下さい。

■問い合わせ 
ディスクガレージ
TEL:03-5436-9600(平日12:00-19:00)




川村カオリの調子はいいんだけど… - 公式ブログ




YouTube 金スマSP 川村カオリ 2009/7/17放送 4-1




YouTube 金スマSP 川村カオリ 2009/7/17放送 4-4




YouTube Kaori Kawamura - Zoo





9月1日8時1分配信 オリコン



 乳がんのため7月28日に亡くなった歌手・川村カオリさんのお別れ会が、19日に東京・渋谷のC.C.Lemonホールで開催されることが、川村さんの公式ブログで発表された。お別れ会(献花式)のタイトルは川村さんの洗礼名と同じ『アナスタシア』で、「復活」の意味を持つ。

 同ホールは今年5月5日に、川村さんが最後のライブを行った会場。一般受付は午後1時からで、午後6時に受付を終了する。また、当日会場では川村さん本人が好きだったという赤いバラを数量限定で販売する。

 川村さんは2004年に乳がんが見つかり、左乳房の切除、抗がん剤治療を経て翌年、芸能活動を再開。昨年10月にリンパ節などへの転移、再発していることを告白するも、抗がん剤治療を続けながら音楽活動を行っていた。
参照記事http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090901-00000001-oric-ent




Wikipedia より


川村カオリ

川村 カオリ(かわむら かおり、1971年1月23日 - 2009年7月28日)は、日本の歌手。本名及び旧芸名・川村かおり。血液型はB型。モスクワ出身。英国四天王寺学園(四天王寺大学)高等部卒業。


略歴

モスクワで貿易会社の駐在員を務めていた日本人の父とロシア人の母の間に生まれる。幼い頃に正教の洗礼を受ける。聖名はアナスタシア[1](ギリシャ語で「復活」「復活した女」を意味する)。

11歳の時に家族と共にモスクワから千葉県に移住。帰国後に編入した小学校で、日本人ではないという理由から壮絶ないじめに遭う。毎日上履きを隠され、教科書を破かれ、給食にゴミやゴキブリを入れられ、「川村かおりを殺す会」が作られるまでに至った。中学校では、ソ連による大韓航空機撃墜事件が起きると、教師から「この外道が! ソ連に帰れ!」と言われたという。一方で川村自身も同級生をいじめたことがあったという。[2]。

都内の中学校に通いながら新宿Loftやツバキハウスなどにライブを聴きに行くうちに音楽関係者と知り合い、1988年に辻仁成プロデュースにより、「川村かおり」として(後にカオリに改名)シングル『ZOO』[3]および同名アルバムでデビュー。

1990年、『神様が降りてくる夜』が「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」のテーマ曲となりヒットする。1991年には『翼をください』[4]もヒット。また1989年4月から1991年6月までニッポン放送「オールナイトニッポン」土曜2部のパーソナリティを務めた。

1991年、「東京の休日」で映画初主演。同年4月、当時の内閣総理大臣であった海部俊樹に、当時のソビエト連邦大統領ミハイル・ゴルバチョフとの晩餐会に招待された。1992年、エッセイ集「volume―僕の手の中」を発表。

1993年より活動休止し、ニューヨーク等で生活。1995年6月、音楽活動を再開。所属レコード会社を移籍し、シングル「Big Beat」を発表した。1996年、NHK-BSのテレビドラマ「新宿鮫」に出演。1997年、「新宿鮫・毒猿」に出演。

1998年、クラブ向きの音楽制作を目的としたソロプロジェクト「SORROW」を開始し、クラブイベントでのDJとしても活動を始めた。また、モデルの坂田かよと共にクラブイベント「696」を開催し好評を博す。この頃、「川村かおり」から現在の「川村カオリ」に改名した。また同年、母が乳癌で永眠。

1999年2月、バンド「SOBUT」のギタリストであったMOTOAKIと結婚。同年、手塚眞監督の映画「白痴」に出演。

2000年、「SORROW」のメンバーに中村達也を加えてイベントを全国で展開。以降、夫を含む4人編成のバンドとしてインディーズで活動を続ける。MOTOAKIとの写真集「True Romance」(撮影:ニッキー・スターキー)を出版。

2001年、ツアーの様子を自ら撮影したドキュメンタリー映画「696 TRAVELING HIGH」を発表した。同年、行定勲監督「贅沢な骨」に出演。また同年12月には長女を出産。2003年、ユニバーサルミュージックよりアルバムを発表し、メジャーデビュー。

2004年、乳癌が発覚。左乳房の切除手術と抗がん剤治療を経て、2005年に芸能活動を再開した。9月、フォトエッセイ「Helter Skelter」を発表。少女期に受けたいじめや、音楽活動の紆余曲折、乳癌を患った事とその闘病生活などを明かした。2006年、手塚眞監督の映画「BLACK KISS」で主演を務める。

また、国内アパレルブランド[5]のモデルとしてパリ・コレクションなどのファッションショーに出演。

2007年2月、「SORROW」の活動休止を発表。同年、北村龍平監督の「LOVE DEATH」に出演。6月、3年半の別居の末MOTOAKIと離婚。9月29日、ピンクリボン運動のイベントでトークショーに出演。「年に1度はマンモグラフィー検査に行ってほしい」と訴えた[6][7]。イベント終了後の記者会見では、話し合いを経て共に悔いの無い心境で離婚届を提出した事、長女の親権は川村が持つ事などを明かした[8]。

2008年10月1日、ブログで癌の再発を発表。同日に参加したピンクリボンフェスティバル終了後の記者会見では、昨年関節炎と診断された胸の痛みの原因が実際は癌である事が1月に判明、リンパ節・骨・肺の3ヶ所に転移しており、手術が不可能なため点滴での抗がん剤治療を続けている事を明かした[9]。

2009年1月23日、11年ぶりの誕生日ライブを東京・原宿アストロホールで行う。『バタフライ』など7曲を歌った。

同年3月18日に徹子の部屋にゲスト出演する。

同年3月22日、東京渋谷HMVでシングル『バタフライ』と書籍『MY SWEET HOME』の発売記念インストアライブにて、トークと『バタフライ』を1フレーズ歌い、握手会を行った。

同年4月4日、単発特番の川村かおりのオールナイトニッポンが放送される予定だったが、体調不良のため川村本人は生出演せず、急遽『川村カオリのためのオールナイトニッポン』として放送された。MCは構成作家の鈴木おさむ。

同年5月5日、東京渋谷CCレモンホールにてライブを行った。全席完売の会場で全13曲を歌い、合間にオールナイトニッポンの公開録音を行った。公演中は椅子に座った状態だったが、アンコールの『ZOO』ではギターを抱えて立って歌った。ゲストは鈴木祥子、浅井健一、高橋研、吉川晃司、渡辺俊美、鈴木彩子で、13年ぶりのフルアルバム『K』に参加したメンバーが入れ換わりで演奏した。オールナイトニッポンの公開録音は、4月4日に生出演できなかったことからリベンジ企画としておこなったもの。放送予定はいまのところ未定。

同年5月27日、13年ぶりのフルアルバム「K」を発売。同年7月1日、ブログで癌の新たな転移が見つかったことを報告。

同年7月28日午前11時01分、乳癌のため都内の病院にて永眠。38歳没。[10][11]

川村は正教徒であったため、7月30日晩にパニヒダ(通夜)が、31日昼に埋葬式(葬儀)が(埋葬式は主教祈祷)、日本正教会最大の教会であるニコライ堂にて、聖歌の歌われる中で行われた。聖堂には多くの著名人からの花が捧げられた他、川村のCD、ギター三本などが聖堂内に並べられた[12]。喪主は川村の弟が務めた



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Posted by fuwari at 12:03 │訃報